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TalesWeaver/OriginalSideStory~ 公式シナリオとは無関係です。
*ドッペルゲンガー~Chapter2-After
「青い薔薇? ペナイン森の深層に生えるって聞くけどな」
自分よりはアノマラドの地理に長けた相方に訊ね、ようやく辿り着いたのがこの森だった。
一歩入れば生温く、しかし鋭い空気が肌をキンと弾くように流れているのがわかる。
ここが、薔薇の咲く森……
(最高級の花束、かぁ……)
イスピンはライディアでの依頼を忘れないように思い出しながら森を歩き始める。
元を正せば、イスピンがライディアの魔法商店に訪れて店主の悩みを聞いたのが初めだった。
彼の下で働くオレンとピニャー、仕事はよく出来るがその仲は犬猿。彼らをなんとか仲良くさせられないものかと
店主はイスピンに依頼を持ちかけ、そのシナリオは開始された。店主が偽造したピニャーの謝罪の手紙。
オレンはイスピンを通じて手紙を渡され、ウソの誠意に応えようとピニャーに花束を贈ろうと計画した。
しかし自らは薬草採りで多忙の身、そこへ以前に自分に手紙を渡したイスピンの姿を見かけ、花束を一つ頼み込んだ。
シナリオの全貌を把握しているのは当事者の三人のうちの誰でもなく、そこに通りかかったイスピン一人であった。
店主の作戦は成功のようにも見えるが……肝心のはねっかえりピニャーに話がまだ通っていないのがちょっと気にかかるかな、
とイスピンは思う。
ともかく、最高級花束。それはピニャーに対して真面目な姿勢を見せるオレンの真の心に違いない。
しかしアノマラドでも希少な最高級の青い薔薇だなんて、オレンはピニャーに仕事仲間以上の感情を抱いていたのだろうか。
それはおそらく恋とも呼べる感情かもしれない、イスピンにはまだ理解しえない感情でもあった。
元は王女、必要以上の感情を見つけてしまっては国の行く末までも左右する立場だったイスピン。
安宿に置かれた古い雑誌の連載小説で僅かに『恋愛』という人間関係の筋書きを知った程度だった。
仮にオレンがピニャーを愛していて、ピニャーもオレンに同じ想いを抱いていたら、二人はどうなるんだろう?
イスピンはまだ解らない二人を思って微笑した。
愛していたら。
愛していたら……その言葉に思い浮かぶ顔があった。赤い髪をなびかせる。
力強い槍を手に。イスピンの前を駆け抜けていった男。
(ちがうちがう…!)
頭に載せた赤いベレー帽を落としかねないくらいにぶるると頭を振った。
この傭兵、イスピン・シャルルがちょっとそっとの心の動きに惑わされるものですか。
強く思って自身を叱咤する。今は仕事、青い薔薇を探してるだけ。依頼主の個人的な話は詮索するものではないし、と……
イスピンは改めて森を見渡した。暗い…不思議な木々が囲う森だ。
「あの森はドッペルゲンガーの森、とも言われるようだがオレはまだドッペルゲンガーとやらに会った事はないね。
自分のドッペルゲンガーを見たヤツは死んじまうって噂、信じる?」
なんて、あの眼鏡は馬鹿げた事を言っていた。そんな迷信を怖がるほど子供じゃない。
それにしても、森に入ってしばらく経つがドッペルゲンガーどころか魔物の姿一つ見当たらない。
静かな森に虫の鳴き声とイスピンの足音以外の物音はない。
……それまでは、なかった。
イスピンは草を掻き分ける自分以外の誰かの足音を聞いた。立ち止まる。
レイピアの柄に手を軽くかけ、慎重に振り向いた。
「……あ…」
目を見張った。視界の端に真っ先に見えたのは赤い髪。彼はいつのまにかそこに立っていた。
「こんなところで会うなんて、奇遇じゃないか?」
力強い槍を力強い腕で支え持ち、彼はイスピンに声を掛けた。
「あなたは」
「きみは、イスピンと言ったか。今日は一人で仕事かい」
「え、ええ。あなたは…… あなたは何故この森に?」
声は知らず上ずった。先程まで思い出していた相手が目の前にいる。
まだ殆ど話したことはなかったのに、彼はこんなにも親しく、そして、その声はイスピンが覚えている限りの兄に似ているように思えた。
「仕事さ。ちょっとしたものだけどね。しかし、本当に奇遇だ」
彼の口から紡がれた次の言葉に、イスピンは息を飲んだ。
「この遠いアノマラドで生きて会えるなんて、思ってもみなかった」
「生きて……?」
イスピンの疑問を投げかけたにも近いその呟きに、彼はいとも簡単に答えた。
「どうした、ロッテ。しばらく見ないうちに本当に大きくなったね……私の顔は、もう忘れてしまったのかい」
一瞬言葉は失われた。イスピンは、目の前にいる『ベルナール』を見た。
「お兄様なの? 本当に」
「違うのか? イスピン・シャルルなんて偽名はあまりにも『シャルロット』らしい、すぐ解ったよ」
「え、う」
「ロッテ、泣かないんだよ」
「ど、して」
半分正気を失っていた。突然の出来事に、驚愕の事実に、イスピンの唇はただ脳裏に流れ行く言葉を紡ぎ始める。
「知っていたなら何故すぐに来てくれなかったの……ボク、寂しかったよ。
一人きりだと、思っていたから、頑張らなくてはならないって……」
目の奥からにじみ出た涙は視界を揺らす。イスピンが瞬きをすれば涙はすぐに頬を流れ落ちる。
彼はイスピンに歩み寄ってきた。ざくざくと草を分ける足音。
片腕に下ろされた槍は僅かに動きを見せ光を反射する。
「もう大丈夫。強がらなくても頑張らなくてもいいさ、お前はここで私と会えた。一人じゃない」
「そうだね……」
右手の甲で涙を拭いて、イスピンはまっすぐに『兄』を見た。槍を構えた『兄』。
「これから先、お前を一人にする事は二度とない。約束するよ」
優しい、『兄』の言葉。
「だが、私はまた一人になるのさ」
ぐっと冷たく沈んだ声がイスピンの胸を打ち抜き波立たせた。
(真紅の死神!)
思い出された呼び名と同時にイスピンの身体は後方に飛び退いた。かろうじて。
雑草を横薙いで刈る鋭い刃、細かく裂かれた草が舞う。
舞い降りる草の中に、赤い青年は青い槍を構えて微笑んでいた。
彼は死神。真紅の死神、シベリン・ウー。解っているのに何故気付かなかった!
イスピンは自分を責めた。ギルドで忙しく働く彼がイスピンの存在をそう深く知る由はない、
シベリンとイスピン、二人の関係は一方的な視線と一時の会話のみ。
名前もその恐ろしい通り名も、相方であるマキシミンに一度聞いただけだった。
「母君の後を追え。お前は一人になることはない……」
「お前は、ボクの兄じゃない!」
(それに、シベリンさんでもない……あれは)
ドッペルゲンガー。その赤毛の青年は想像だにしない鬼の表情を作り上げていた。
にやりと歪んだ口元、あれもシベリンの持つ表情の一つなのかもしれない。
だが、きっとシベリン自身すら自分がそんな表情を作れる事を知らないのだろう。
「お兄様の真似はよして。あなたはシベリン、シャドウ&アッシュの傭兵。
ボクはシベリンさんの事、ほとんど知らなくて……ボクが一方的に思い込んでただけ!」
イスピンは叫んだ。何も知らない彼に対する思いを吐き出した。涙はさらに溢れた。
そう、彼の事は何も知らない。通り名と、名前と、手にしていた大きな槍と、
パートナーにレイという女性を持っている事。
それから、兄を思い起こさせる顔立ちをしていたこと……目の前のシベリンではないシベリンを見据えた。
冷たい表情をしていても、やはりその顔は兄に似ていた……顔が兄に似ていても、声まで似るとは限らない。
目の前のシベリンは、イスピンが知っているだけの特徴しか似せられなかった生き物だった。
イスピンはただ、赤い髪をなびかせる兄に似た人に、憧れた……それに気付いたのは、たった今。
気づかれた今、ドッペルゲンガーは『イスピンの思うシベリン』ではなく『イスピンの知る限りのシベリン』と化す。
イスピンの記憶に補完されない面はただの魔物。知る人間の姿をした悪鬼、ただそれだけだ。
「フン、真紅の死神。その名に相応しい振る舞いをさせてもらおう」
イスピンの左腕の裾を鮮血が重たく伝い、地面に落ちる。
「これくらいの傷なら、どうって事ない」
イスピンは鞄からハンカチを取り出して傷口の上を巻き絞った。
静けさを取り戻した暗い森、目の前には飛び散る血の跡はあれど死骸はない。
先ほどのシベリンはまごう事無きドッペルゲンガーであった。
槍の一閃をかわし、手に持つレイピアで迷うことなく体勢を突き崩す。そんな戦いが、一時続けられた。
「あの名前を使ったのが命取りだったわね、ドッペルゲンガー」
イスピンの兄・ベルナールが親しみをこめてイスピン、いやシャルロットを呼んだ愛称、『ロッテ』。
それを知るのはベルナールとその側近にあたる者のみであった。
一時の思い出の後に裏切りを見せたドッペルゲンガーへの怒りは底知れない。
イスピンはいくつかの傷を受けながらも力の限りというものが初めからなかったかのようにレイピアを振るい
ドッペルゲンガーを打ち倒した。
受ける傷はどれもイスピンの動きを留めるには至らなかった。本当に痛みを覚える傷は……
イスピンはしばし俯いて、腕の処置に専念した。
頬と口元は震え続けて涙を堪えることをひと時も忘れはしなかった。
最も外傷の大きかった左腕をその場限りながら処置を施し終えるとイスピンは立ち上がり……
ドッペルゲンガーのいなくなった先の茂みにふわりと光る青みを見つけた。
青い薔薇、これでイスピンの今回の仕事は無事に終えたも同然だ。
「ごめんね」
イスピンは美しく咲く薔薇に一言謝ってその一輪を手折った。
恋の橋渡しに使われるこの薔薇は、もしや自分を試していたのだろうか。
試練を与えながらもそれを乗り越えたものだけに姿を見せる。
それが自分にとってはシベリンのドッペルゲンガーだったのでは。
過ぎった哀しい考えを振り切って、イスピンは夕暮れの光が漏れる森の入り口へと歩いていった。
ライディア魔法商店の若い店主はイスピンの傷を見るや否やいくつかの薬草を取り出して
彼女の手当てを簡単に終わらせてしまった。
イスピンがオレンの依頼で傷を負った事はどうやら彼に見透かされていた事だったらしい。
「花束なら私でも作れそうですから」と店主は売り子のピニャーにばれないようにこっそりと花をまとめてあっという間に美しい花束に変えた。
たくさんの花の中に青い薔薇がアクセントとして光っていた。
イスピンに幻影を見せたかもしれないこの薔薇が何も知らない少年の勇気をこめた第一歩を示す花……
「頑張ってね」
大きく美しい花束に大喜びでお礼を言うオレン、手渡された幾ばくかのSeed。
イスピンも礼を言うとライディアを後にする。
結界石を握ってワープゲートに乗る前に、オレンの手にした花束……その中でほのかに光る青い薔薇に別れを告げた。
時は既に夜。
ナルビクの静かな街並みに迎えられ、イスピンは帰ってきた安心と今日の傷を胸に海沿いを歩く。
兄の面影を持つ青年は既にパートナーをもつ腕利きの傭兵。コツ、コツ、小さな靴音を立て寂しく歩く。
そんな彼に僅かでも好意を持っている事を魔物なんかに知らされて、更にその隙を突かれてしまったショック。
堤防を打つ波の音を聴きながら宿への道を歩く。
まだ地理に疎い土地を頼りのないままやはり一人で進んでいかなければならない、否応なしに感じられた忘れたい真実。
波の音に混じる流れるような音色を聴きながら……
静かなナルビクで唯一音色を流すバーのダンスミュージックかと一瞬疑ったが、そうではないらしい。
イスピンがアノマラドについてから初めて聴くメロディが僅かに聴こえてくる。
それはナルビクの中央通りから。
街を守る卵のオブジェ。照らされたそのオブジェの台の前に立つ者が居て、その音色はその者が奏でるものに違いない。
ただ立っているにしては不自然だ。右腕が浮き、ゆっくりと動いている。
それは棒状の何かを持っていて……かしげた首は、そうだバイオリン。
イスピンは歩くのをやめて遠い石畳に落ちた影に視線を落とし、そのメロディを聴く。
曲名は知らないけれど、綺麗な音楽。寂しい今の自分に染み渡るような音色。
ナルビクにも、こんな美しい音色を持った音楽家がいたんだ……
オルランヌの宮廷に居た頃に何度か聴いた優雅な演奏会を思い出す。
今はもう、手の届かない環境の音楽。目を閉じて聴き入った。
夜の街の小さな演奏会、たった一人の奏者とたった一人?の観客。お互いを知らないそれはお互いに自己満足。
しかしおそらくはお互いに充実した時間だったに違いない。
演奏が終わる。静かに引いた一音を最後に、メロディは止まった。
拍手すべきかしら、しかしこんな夜にいきなり拍手が響くのはなんだか雰囲気が違うような……
何も出来ないまま、何も言えないまま奏者を見る。
そして、驚いた。
バイオリンを弾いていたその人物は、イスピンの知る一人の人物によく似ていたからだ。
背を向けている為に解りづらくはあるが、長いコートや肩口で切られた髪型にはひどく覚えがある。
森に出る前、イスピンにくだらない忠告をした相方。
彼はまだイスピンには気づかず、オブジェの台に腰をまかせてもたれかかるとバイオリンを顎に支えたまま考え込んでいる様子だった。
逆光で表情はよく見えない。弓はバイオリンに添えたまま……だったが、やがて膝上に下ろした。
バイオリンも同じくひょいと膝上に降ろすと、彼は肩を使ってため息をついた。
「マキシミン?」
イスピンは勇気を振り絞って知っている名を呼んでみた。
「げ、イスピン!?」
此方を向いたその顔、というよりも光る眼鏡が彼の面影を物語っている。
イスピンは肩を驚きですくめたマキシミンに歩み寄った。
「邪魔しちゃったかな」
「何の」
「演奏の」
「演奏? は、バカバカし」
ガタン、とオブジェの台座に置いてあったケースを引っ張ると、
「聴いてたなら金でも入れろよ」
などと促す。
つくづく空気を壊すヤツ。それがマキシミンであり、それ以外のマキシミンなんて有り得ないのだが……
「あら、たったあれだけの演奏でお金を貰おうっていうの?
そこらの詩人でも酒場があったまるまで詩を披露するものだけれどね」
「ここは酒場じゃない、それにボランティアの路上演奏でもそれなりの見返りがあれば嬉しいものだしね」
「ボランティアで弾いてたようには思えないけど」
普段のマキシミンからは想像もつかない姿だ。まさか所持していた楽器とそれに見合った美しい旋律を奏でる技術。
いつもの大剣を振り回す無骨な姿からはかけ離れている。
「ふむ……確かにボランティアではないな。
酒飲む金がねーからこうやって金を稼ごうとバイオリンを弾いていたわけだ」
「でも、観客はボク以外誰も居なかった……なんて言うよりは、
こんな夜更けに路上演奏に立ち止まってくれる人なんて酒場帰りの酔っ払いくらいのものじゃないの」
「うるさいな、わかってんならさっさと金よこせ。入れろ。ほら」
ケースを突き出す。
「ふん、ホントは収入なんて期待してなかったくせに」
ケースの置かれたオブジェの台座に歩み寄って座り、ポーチから10seed銅貨を取り出す。
バイオリンケースに投げ入れた銅貨がコツンと音を立てた。
「……ケチくせ」
「素晴らしい演奏だったよ、ありがとう」
「礼を言われる筋合いはない」
ケースから今しがた入れられた銅貨を取り出してポケットに入れると、バイオリンを丁寧にケースの中に置き入れる。
大切にしまわれるバイオリンを見れば、彼が下らない考えでバイオリンを弾いていたわけではないという予想は簡単につく。
普段の様子とは全く違うその光景とその空気、もしももう一人のマキシミンが居たとすればそれはこんな感じなのかもしれない。
―ドッペルゲンガー。
今日出会ったそれを思い出して、イスピンは唇の端っこをきゅっと引き締めた。
「あー、お前仕事帰りか?」
「うん、そうだよ。マキシミンが青い薔薇の場所を教えてくれたおかげで手早く済んだ。ありがとう」
「礼はいい」
当然だと言わんばかりに一言だけの返事。
「で、ドッペルゲンガーに会ったりしたか?」
「うん?」
問われたそれでフラッシュバックする赤い長髪。
「……会ったよ」
「それで、どうだったんだ?」
「聞きたいの?」
イスピンは少し無理をして笑顔を作り、マキシミンを見た。
マキシミンはバイオリンケースをぱたんと閉めて、その嫌味をこめた笑顔を見る。
「は、別に。ただ、お前がドッペルゲンガーとすり代わって来たかもしれないじゃないか。
いつ後ろから斬られたものか解らん、身の危険を守る為の問いさ」
「ドッペルゲンガーは森の外には出ないよ」
台座からぴょんと飛び降りてタンと地面に足をつける。
両手をふわり空に掲げ、イスピンは一歩、二歩歩いてくるりと舞った。
腰のベルトからさがる剣の鞘が太ももを打つ。
「……何のマネだ?」
「ライディアの人たちが言うにはね、ドッペルゲンガーには影がないんだって」
月明かりと周囲の街灯がイスピンの影を細く長く地に落としていた。掲げた両手をぱたんと下ろす。
「なぁんだ、マキシミンは噂ばかりで本当のことは結構知らなかったんだね」
出かける前に散々イスピンを脅そうと色んな事を吹き込むマキシミンを思い出して、イスピンはくすくす笑った。
「うるさいな、知らなかったわけじゃないよ!」
「ドッペルゲンガー、やっつけてきたよ」
「会ったのか」
「うん。他人の空真似をするモンスターってところかな。人の姿をしていても、所詮は魔物」
それは自分自身にも言い聞かせるような言葉だった。
ドッペルゲンガーの扮したシベリンの左胸を突いたあの瞬間、あの手応え。
ゴリリと肋骨を掠めたような剣の感触と表情を歪めるドッペルゲンガー。リアルなお芝居に怒りすら覚えた。
一つの経験ではあるが、けして良い思い出にはならない……
「ふーん。お前でも倒せる程度なら、特に心配する事ないか」
マキシミンはイスピンの胸中を察する事無く、バイオリンケースを片手に立ち上がった。
深夜にバイオリンを弾いた、昼間とは違うマキシミン。
「帰るの?」
「暇潰しも済んだしな」
「暇潰しって、バイオリンの事?」
彼は歩き始めた。
「ああ。お前も早く帰って休めよ」
一歩、二歩、三歩、遠ざかっていく。
「明日こそまともな仕事が入ってるかもしれんしな」
「待って」
「なんだよ」
歩みは止まない。
せめて、忌まわしい記憶を振り払う何かが欲しかった。
「バイオリン……また聴かせてくれる?」
口を突いて出た一言だったが、イスピンは自身にとって機転の利いた発言をしたと思った。
その返事に期待を抱いて、月明かりの下で遠ざかるマキシミンを見る。
「なんでお前の為に弾いてやんなきゃならないんだよ」
「ついででいいんだよ」
「はぁ、お前が今日みたいに偶然見かける事でもあれば話は別だけど、知らねー」
「……ありがとう」
いつものそっけなさが逆にイスピンを安心させた。
夜更けには酒を呑み、金が無ければバイオリンを弾いて過ごす。
昼間のマキシミンとは違う雰囲気があっても、彼は同じマキシミンだ。
これならまた彼の演奏を聴く機会があるだろう、そう思うとイスピンの心はようやく晴れてきた。
「おやすみ、マキシミン」
もはや遠いマキシミンに声をかけると、マキシミンはバイオリンケースを持たない右手を頭の横でやる気なさげに振った。
―end.
*2.23以前は青い薔薇ってレアだったんです、と補足。
戦闘シーンを書くのは嫌いです。ので、出来るだけ表現しない努力をしました・・・
chapter1,2の後日を描いてきたわけなんですが、chapter3後日は今のとこ予定してません。
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